ブログ

映画「そして父になる」から生まれと育ち、どちらが大切か、大事にしたい人間関係について考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ22】

映画「そして父になる」から血のつながりと過ごした時間、どちらが大切か、大事にしたい人間関係について考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ22】

 

  • 「そして父になる」の映画概要とあらすじについて
  • 血のつながり、遺伝がどのぐらい人生に影響を与えているのでしょうか
  • 一緒に過ごした時間の蓄積が、他人を家族にしていくこともある
  • 自分たちなりの家族を作れれば

それぞれ一つずつみていきたいと思います。

 

 

「そして父になる」の映画概要とあらすじについて

 

『そして父になる』(そしてちちになる)は、是枝裕和監督の2013年制作の日本映画です。主演の福山雅治で、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキー、田中哲司、井浦新、樹木希林が共演者です。第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、第66回カンヌ国際映画祭の審査員賞を受賞しました。カンヌ国際映画祭の審査員賞受賞作として、日本でも公開前から大変話題になりました。

福山雅治演じるエリート建築家の野々宮良多と妻のみどり(尾野真千子)は6歳になる一人息子の慶多と家族三人幸せに過ごしていました。ある日、慶多を出産した病院から呼び出され、慶多が出産時に子供の取り違えがあったことを知らされます。

取り違えられたもう一組の家族は、群馬で小さな電気店を営み、3人の子を持つ斎木雄大(絵リリー・フランキー)・ゆかり(真木よう子)夫妻で、血の繋がった息子は琉晴と呼ばれる少年でした。二組の夫婦は、今後の方針について深く悩み苦しみます。野々宮家と斎木家は住む場所も親の職業も家族の雰囲気も全然違いますが、二家族で何度か会ううちに子供同士、家族同士、母親同士で心の交流が生まれます。悩んだ上、本来の親が育てる方針になりましたが、取り換えられた子供たちは、急に親が変わり、住む場所が変わる理由も意味もわからず「なんで、なんで」と質問を繰り返し混乱します。自らの出生にコンプレックスを抱き、実の両親ともうまくいっておらず、仕事を優先して子供と一緒に遊んだり愛情を注ぐのをためらうに野々宮に、斎木は子供と過ごす時間が親子になっていく時間だと諭します。血の繋がった息子、琉晴と過ごす中、慶多を忘れたわけではないですが、琉晴に愛おしさを感じるようになったみどりは、慶多を裏切っているようで申し訳ないと涙を流します。野々宮もカメラの写真の中で慶多が自分を撮っている写真をみて、一気に愛おしさが沸き上がってきます。前橋の斎木の家で二家族が合流するシーンで終わりますが、その後、慶多と琉晴がどちらの家庭で育てられることになったかはわかりません。

血の繋がりか、それとも一緒に過ごした時間か、家族を決めるものはなんなのか、究極の選択で正解がわかりません。子供二人の自然な演技が素晴らしく、それぞれの夫婦も持ち味がよく出ていました。しかし、鑑賞後は、とても思い悩む作品です。

(出所)Wikipedia 映画.com

 

 

血のつながり、遺伝がどのぐらい人生に影響を与えているのでしょうか

 

「血は水より濃い」、「血は争えない」、「蛙の子は蛙」など、血縁関係に関することわざはたくさんあります。それはどれも、血のつながりは他人同士の関係よりも強い。 身内には他人とは比べ物にならない愛着があることや、どのようないきさつがあろうと血縁は断ち切れるものではないというたとえです。

劇中でも琉晴の頭をなでるみどりが「あなたの頭と一緒なの」と呟いたり、琉晴が野々宮の少年時代の写真とうり二つなど、血のつながり、遺伝についての描写があります。

「生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋 安藤寿康著」の中で、行動遺伝学では、身長体重などは90%が遺伝し、知能に関しては50%程度が遺伝すると書かれています。身も蓋もない残酷な話です。映画の中でも、「今は幼い二人ですが、成長するにどんどん親に似てくる宿命を背負っているなら、今の別れは辛くても、子供のためにも、血の繋がった親が育てよう。」と野々村が問いかけるシーンがあります。特に日本では血縁がとても重視されています。劇中、子供の取違がわかり、野々宮が、子供が自分に似ていないことに納得するシーンもあり、親心の複雑さも推察できます。

(参考)生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋 安藤寿康

 

 

一緒に過ごした時間の蓄積が、他人を家族にしていくこともある

 

本作品では家族とは「血のつながり」か、それとも「一緒に過ごした時間」なのかという究極の命題が問われます。しかし血のつながりを優先して取り違えになった子供たちをそれぞれの血縁関係のある親の元に戻しても、すんなりと急に家族になれるわけではない姿が劇中では描かれます。血はつながっていても、一緒に過ごす時間が、打ち解けるためには必要です。親も血がつながった我が子だから、即愛情を感じるのではなく、徐々に共有する時間の中で、愛おしさが湧いてくるシーンがあり、リアルだと感じました。本作品の中で、野々宮が異動となる研究所の人工的に作られた森の中で、森の生態を管理する職員か(井浦新)らセミが卵を産んで孵化するまでに15年の歳月が必要だったと説明を受けます。「15年は長いですか。」と聞かれて野々宮は言葉を失います。タイパ、コスパと現代では効率が最優先されますが、長い時間をかけて築き上げていくものが、親子であり家族であり、大切な人間関係なのではないでしょうか。人間関係を築くには膨大な長い長い年月が必要です。

「万引き家族」も是枝作品ですが、その中で描かれる家族には血のつながりはありません。宮沢りえ主演の「湯を沸かすほどの熱い愛」の家族も血のつながりはありません。

単独世帯が最も多い、家族の人数が少人数化する現代では、血のつながりだけでなく、たとえ血のつながりのない他人であっても深くつながり、家族のような疑似家族を作りたいと望む人が増えているのかもしれません。しかし疑似家族ってなんなんでしょう。

(出所)映画.com

 

 

自分たちなりの家族を作れれば

 

ラストシーンでは、2家族が斎木の家に集まるシーンで終わります。その後二人の子供たちは血の繋がった親、それとも育ての親のどちらと一緒に暮らすのかは、視聴者の想像に委ねられます。本作品では、野々宮家と斎木家では全て正反対に設定されています。野々宮家は都会、エリート、お金持ち、核家族、高級焼肉、それに対し斎木家は、地方、地域密着、お金はあるに越したことはない、多世代同居家族、餃子を全員で早い者勝ち、です。どちらが良いとか悪いではなく、好みと価値観の違いではないでしょうか。どちらの家で育てられた方が幸せなのかもわかりません。みんな隣の芝生は青く見えるだろうし、幼い頃、私自身、お金持ちの友達の家に行き、美味しそうなケーキや見たことのない食材を食べ、胸が高鳴った記憶もあります。例えどんな環境であっても、親と子がきちんと向き合え、子供が親の愛情を疑うことなく育つことができれば、ある意味奇跡かと思います。

未婚、既婚に関わらず、子供のいる、いないに関わらず、他人とどうやって関わったらいいのか、自分には大事に時間をかけて作っていきたい人間関係があるのか、深く自分自身に問いかける作品となっています。

 

関連記事

ページ上部へ戻る