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大切な人の死を知らずに過ぎた年月を振り返って──後悔と、これからの生き方

大切な人の死を知らずに過ぎた年月を振り返って──後悔と、これからの生き方

 

この夏は、再会や旅が重なり、忙しさの中にも豊かな時間がありました。

人とのつながりのありがたさを感じる出来事が続き、

「人生は有限で、誰かと過ごす時間はかけがえのないものだ」と改めて思う日々でした。

そんな折、長い間消息がつかめなかった友人が亡くなっていたことを知りました。

その知らせは、胸の奥に静かに落ちていき、すぐには現実として受け止められませんでした。

私はこれまで、

『グッドライフ』や『DIE WITH ZERO』を読み、

人間関係の大切さや、関係性にはメンテナンスが必要だと語ってきました。

終活や人生の有限性について書くこともありました。

けれど、自分の大切な友人の死に気づくことができなかった。

その事実は、言葉にならないほどの後悔として胸に残っています。

人は、どれほど注意深く生きていても、

誰かのシグナルを見落とし、

取り返しのつかない別れを経験してしまうことがあります。

今回の訃報は、私にとって「二度目の突然の死」でした。

そしてその二つの出来事が、

「後悔はゼロにはできないけれど、少しでも減らすことはできるのではないか」

そんな静かな問いを私に残しました。

これは、彼女への追悼であり、

私自身が「有限な人生をどう生きるか」を見つめ直すための記録です。

 

 

思いがけない訃報を受けて

 

最後に彼女と会ったのは、第二子を身ごもり、産休に入る直前のランチでした。

大きなお腹を抱えながら、満面の笑みで「またね」と言ってくれたあの日。

その笑顔は、私の中でずっと「続きのある未来」として残っていました。

まさか、あれが最期の別れになるなんて思いもしませんでした。

訃報を聞いた瞬間、胸が強く揺れたのに、涙は出ませんでした。

今も、涙は出ません。

ただ、思い出だけが静かに巡り続けています。

奈良のあの喫茶店。

部活動の遠征。

合宿。

ミスドでの他愛もない会話。

彼女の結婚式の美しさ。

「独身社員は全員涙でくれています」と言われるほど魅力的だった彼女の人柄。

涙が出ないのは、悲しみが浅いからではなく、

悲しみがまだ形を持たず、心の奥で沈んでいるからなのだと思います。

後悔という名の痛み

今回の訃報は、私に深い後悔をもたらしました。

私はこれまで、

「人間関係は大切に」「大事な関係はメンテナンスが必要」

そんなことを語ってきました。

けれど、自分の大切な友人の死に気づくことができなかった。

連絡が途絶えたまま、忙しさに紛れ、

「きっとどこかで元気に暮らしている」と思い込んでいた。

そのことが、胸に重く残っています。

そして私は知っています。

疎遠になった人が突然亡くなることがあるという現実を。

その訃報を受けたとき、

「連絡を取らなかったことを後悔しない人などいない」ということを。

 

 

二度目の突然の死が教えてくれたこと

 

今回の出来事は、私にとって「二度目の突然の死」でした。

30代前半の頃、

検査入院した新入社員の女性が亡くなりました。

面白く、頑張り屋で、可愛がっていた子でした。

まさか亡くなるほど重篤な病気だとは知らず、

仕事に夢中になり、彼女の体調にしっかり向き合うことができませんでした。

訃報を聞いた日、

自分よりずっと若い子が検査入院のまま亡くなってしまったこと、

そして自分が何もできなかったことを深く後悔しました。

今回の友人の死は、その時の痛みを静かに呼び起こしました。

「準備ができて見送れる死」と

「準備ができず突然知らされる死」は、

こんなにも違うのだと改めて感じました。

満足のいく見送りなど存在しないのかもしれません。

それでも、後悔は少しでも減らしたい。

その気持ちが、今回の出来事から静かに芽生えています。

 

 

つながりについて考えたこと

 

人の死を身近に感じる仕事をしていると、

「人はいつか必ず死ぬ」という事実を日常の中で見つめることになります。

それでも、身近な人の死は、突然に、静かに、私たちの前に現れます。

訃報が届かないこともあります。

つながりの回線が途切れれば、誰かの死は誰にも知られずに過ぎていくことがあります。

だからこそ、

「自分がこの世を去るとき、誰にそれを伝えてほしいのか」

「大切な人とどうつながりを残すのか」。

それは手続きや制度の話ではなく、人が人を想うことそのものなのだと、彼女が改めて教えてくれた気がします。

人生は有限で、

何気ない別れが、生涯の別れになることもある。

その事実を、今回の出来事が静かに教えてくれました。

 

 

祈りとしての言葉

 

Y子ちゃん。会いたかったよ。

あれが最後になるなんて、つい最近まで思わなかったよ。

亡くなっていたこと、ずっと気が付かずにごめんね。

でも、最後に見たあなたの笑顔は、未来に向けて歩く人の、まっすぐで優しい笑顔でした。

あなたと過ごした時間は、私の人生の大切な一部です。その記憶は、これからも静かに私の中で灯り続けます。

どうか安らかに。

またね。

その続きは、いつかどこかで。

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