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映画「リメンバー・ミー」からメキシコの死者の日と大切な人を忘れないことの意味について考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ21】

映画「リメンバー・ミー」からメキシコの死者の日と大切な人を忘れないことの意味について考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ21】

 

  • 「リメンバー・ミー」の映画概要とあらすじについて
  • メキシコの死者の日とは何をする日なのでしょうか
  • 「リメンバー・ミー」で死者の国から生者の国に戻るための条件をみてみよう
  • 家族とは世界中どこでも、煩わしくて、だけど心の最後の場所にずっとあるもの

 

それぞれ一つずつみていきたいと思います。

 

 

「リメンバー・ミー」の映画概要とあらすじについて

 

『リメンバー・ミー』(原題:Coco)は、ピクサー・アニメーション・スタジオによる製作、ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ配給によるアメリカ合衆国の映画です。全米で2017年11月22日、日本で2018年3月16日公開。(Wikipediaからそのまま抜粋)監督はリー・アンクリッチです。リー・アンクリッチは1994年から2019年まで25年間ピクサーで映画編集、監督をつとめました。トイストーリーシリーズ、モンスターズ・インク、ファイティング・ニモなど、数々の大ヒット作品に携わってきました。

メキシコのサンタ・セシリア出身のリヴェラ家ミゲルはギターが大好きで将来ミュージシャンを目指す12歳の少年です。しかしミゲルのひいおばあちゃんの父親(高祖父)が家族を捨てミュージシャンを目指し、その後高祖母が一人で靴職人となり、一族全員が靴職人になる礎を築きました。そのような経緯からリヴェラ家では代々音楽禁止の掟が受け継がれてきました。同郷の伝説的ミュージシャンであるエルネスト・デラクルスに憧れ、この掟に反発したミゲルが、メキシコの死者の日に、死者の国に迷い込みデラクルスと友人だというヘクターと知り合いになります。生者の国、家族の元に帰りたいミゲルと家族に会えず死んでしまい、娘を残してきたヘクターが二人で協力して、ミゲルを生者の家族の元へ帰すストーリです。

映像がカラフルで、とても美しいです。またメキシコのリズミカルなメロディーが観ている人を明るい気持ちにさせます。死者の国というと少し暗いイメージを抱く人もいるかもしれませんが、死者の日で重要なマリーゴールドのオレンジが街中、お墓を見事に彩り、とても鮮やかです。死者の国から生者の国に架けられた橋もマリーゴールドの花びらで作られており、とてもファンタスティックな美しさです。死者の国の人が全員骸骨なのは、メキシコでは2500-3000年前から、祖先のガイコツを身近に飾る習慣があったことに由来しているようです。

物語の最後でまさかの展開もあり、年齢問わずどなたでも楽しめる内容になっています。

(出所)Wikipedia映画com

 

 

メキシコの死者の日とは何をする日なのでしょうか

 

メキシコの死者の日は、毎年11月1日、2日に行われます。死者の日は、亡くなった人が家族、親戚、友人が亡くなった人を思い出し、思い出話をする日です。その日には死者の魂が自宅に戻ってくると考えられており、死者を導く花、マリーゴールドの花が市街地にもお墓にも溢れます。お墓もマリーゴールドの花で綺麗に飾られます。オフレンダ(Ofrenda)と呼ばれる祭壇には食べ物や飲み物、花、ロウソクなど様々なものが飾られます。オフレンダは住居内の中心や玄関先だけでなく、街の中心部の公園や階段等など人目につくところにも置かれます。人々は1年間かけて準備し、墓地も時期が近づくにつれて念入りに清掃、飾りつけを施します。

この死者の日は、日本のお盆の習慣と似ています。お盆では初日(迎え盆)には、夕方から迎え火を焚き、先祖や故人の霊をお迎えします。 またご先祖様が自宅に帰ってきている間は、果物やお菓子、故人の好物をお供えし、みなでご先祖様の話をします。お盆最終日(送り盆)には、夕方から夜にかけて送り火を焚き、先祖や故人の霊をお見送りします。

日本で、リメンバー・ミーが受け入れられた背景には、メキシコの死者の日同様、日本にもご先祖様をお迎えするというお盆の習慣があったことも一つかもしれません。

(出所)Wikipedia

 

 

「リメンバー・ミー」で死者の国から生者の国に戻るための条件をみてみよう

 

死者の国から生者の国に戻るためには、生者の国の祭壇に自分の写真が飾られていることが必須条件です。劇中、空港の出国手続きのように死者の国の出国手続き所では顔写真が、生者の国の祭壇に飾られていない人は出国できません。例え無理やり出国してもマリーゴールドの橋を渡ることはできません。日本だと「先祖代々」という個としての名前は消え失せても、脈々と受け継がれる先祖代々という考え方がありますが、メキシコでは、故人の名前も顔も明らかである必要があります。

生者の国でいよいよ誰にも思い出されなくなると、「2度目の死」が訪れます。死者の国で生き続けるためには、生者の世界で、その人の事を記憶して思い出してくれる人が必要なのです。

また、ミゲルのような生者が死者の国に迷いこみ、生者の世界に戻るためには、ご先祖様の許しが必要になります。リメンバー・ミーでは生者と死者は互いに直接影響を与え合う関係と言えます。

 

 

家族とは世界中どこでも、煩わしくて、だけど心の最後の場所にずっとあるもの

 

今回の映画の舞台はメキシコです。メキシコを始めラテンアメリカの国では、家族の絆が強く、大家族も多く、家族を何よりも大事にするそうです。劇中でも現リヴェラ家の精神的支柱である祖母もミゲルのことを抱きしめ、数々のスキンシップのシーンがあります。

しかし伝統的な家族関係が強ければ強いほど、世襲制で家業が決められているケースなど、束縛も強く、反発する人も出てくるでしょう。以前是枝監督の「歩いても歩いても」という作品のブログを書かせていただきましたが、古今東西問わず、家族というものは煩わしくやっかいなものです。現在の日本社会では単身世帯が増え、家族の人数も少人数化し、縮小傾向にあります。以前は機能していた地縁血縁の共同体が希薄となり、今は別のつながりを私たちは模索している状態です。今回のリメンバー・ミーは名前のとおり「私を思い出して、忘れないで」という切実なメッセージです。家族という集団は他の関係とは明らかに違う存在なのでしょう。

「リメンバー・ミー」の来日記者会見が東京で行われ、監督のリー・アンクリッチ、共同監督のエイドリアン・モリーナが作品のテーマを解説したインタビュー記事で、このように述べています。『モリーナは制作過程を振り返りながら「自分の先祖、つまり自分にとって大事な人を忘れないことは責務なのではないかと。それは普遍的なもので、人間全体に伝わるものだと感じました」と映画に込めた思いを伝える』

人は誰もが一人で生まれた訳ではなく、両親がいて、伯父叔母、祖父母など直系も傍系もあわせると先人は無限の数となります。そう考えると自分のことを大事に思ってくれている人は、今は会えない人も含めると結構多いのかもしれません。それはきっと生きる勇気にもつながるでしょう。

(出所)映画ナタリーインタビュー記事

 

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