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映画「歩いても歩いても」から、お盆の本来の意味と亡くなった人の存在、ひりひりする家族団らんについて考えてみよう。【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ⑥】

映画「歩いても歩いても」から、お盆の本来の意味と亡くなった人の存在、ひりひりする家族団らんについて考えてみよう。【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ⑥】

 

  • 「歩いても歩いても」の映画概要とあらすじについて
  • お盆とは?
  • 亡くなった人はどこにいるのか
  • いつまで経っても家族団らんからはほど遠い

 

それぞれ一つずつみていきたいと思います。

 

 

「歩いても歩いても」の映画概要とあらすじについて

 

「歩いても歩いても」は2008年制作の映画です。監督は是枝裕和氏です。本作はアジア・フィルム・アワード 最優秀監督賞、 毎日映画コンクール 男優主演賞を受賞しています。海に近い高台に住む高齢の両親(父親役:原田芳雄、母親約役:樹木希林)の元に二人の娘(YOU)と息子(阿部寛)がそれぞれの家族を連れて帰省します。その年はちょうど水難事故で亡くなった長男の15回忌でした。実家での家族団らんの風景が映画の中で展開されます。阿部寛演じる息子は、息子のいる夫と死別した女性(夏川結衣)と再婚し、仕事を辞めたばかりの設定です。高齢の両親の老いがリアルです。また樹木希林さん演じる母親の見事な家族が集まった際に作るご馳走作りの手さばきが見事で、昭和の匂いを強く感じます。いつものとりとめもない、当たり前の家族団らんの中で、いつまで経っても高齢になった親に大人の対応ができない、すぐに機嫌を損ねる次男役を阿部寛さんの演技には子である世代はどこか共感できるのではないでしょうか。家族の中で生じる緊張、面倒、愛情などが、全部少しずつ、ずれて展開される様がこれまたリアルです。

「死んだ人はどこにいるのか?」が映画を通しての一つの大きなテーマです。

 

 

お盆とは?

 

お盆とは、7月にお盆期間がある地域もありますが、8月13日から8月16日までの4日間とされることが一般的です。ご先祖様や故人が浄土の世界から現世の家に帰ってきます。その4日間は、8月13日には迎え火を焚いてご先祖様をわが家へお迎えします。そして4日間自宅で過ごしていただいたのち、8月16日には送り火を焚き、浄土にお帰りになる。京都の五山の送り火、長崎の精霊流しは有名です。このように本来のお盆とは、祖先崇拝の行事でした。今では核家族化が進み、離れて暮らす家族や親族が一堂に集まり、ご先祖様や故人を供養する場となりました。

映画の中では亡き長男のお墓参りにいくシーンがあります。お盆では8月13日に迎え火を焚き、ご先祖様や故人をわが家にお迎えすることになるため、お墓参りは8月13日に行うことが多いようです。また8月15日が終戦記念日とも重なり、慰霊の日として祈りを捧げる日であるということができるのではないでしょうか。

(参考資料)文化遺産オンライン 文化庁

 

 

亡くなった人はどこにいるのか

 

映画の中で、連れ子である少年が、学校のウサギが死んでしまい、クラスの女子が「手紙をみんなで書こう」と提案しましたが、ウサギは死んでしまい、ウサギはもう手紙は読めないので、その提案がおかしく笑ってしまい学校から連絡があったというシーンがありました。一方15年前に水難事故で亡くした長男の霊を、家の中に迷い込んだ黄色い蝶々に姿を重ね、「あの子が帰ってきた」と黄色い蝶々を無心に追いかけ捕まえようとする祖母(樹木希林)の姿に、少年は「違和感」を感じます。

この描写は日本人の死生観が表現されています。以前お盆は、ご先祖様(故人)が期間限定であの世からこの世に戻ってきて、生きている家族と一緒に過ごし、その間家族はご先祖様や故人を盛大におもてなしするという考え方です。そういった考え方からすると、祖母は「言い伝え」を信じ、亡くなった息子が黄色い蝶々になって家に帰ってきたと思ったのでしょう。しかし少年はまだ小さく、「死んでしまったら会えない」と幼い頃に亡くなった父親がどこにいるのかわからないのですが、祖母の一件を経て、母親に「父親はあなたの中に居る」と言われ、真夜中の庭先で父親に将来の仕事の宣言をします。少年が父親の存在を確信した瞬間でした。

 

 

いつまで経っても家族団らんからはほど遠い

 

この作品を観て、家族の居心地の悪さ、家族という血縁姻族の中で展開される、本音と建て前、家族だから突きつけられる温かさと残酷さなど多様な感情が湧き出てくる人は多いのではないのでしょうか。なんとか楽しいひと時を家族全員で過ごしたいと思っていても、結局は思った通りにはゆかず、仏頂面でせっかくの帰省時間を機嫌を損ねて過ごしてしまった人も多いのではないでしょうか。

社会生活を営むための最小単位である家族は、愛情が前提条件で語られることも多いですが、婚姻や離婚、子の監護扶養義務、遺言相続の場では、家族は「法」的な存在であるとも言えます。

 

お盆で離れて暮らす高齢の両親のもとに帰省される方も多いと思います。どこの家族も、みんな家族団らんにはほど遠いものであるようです。もし家族団らんが楽しめなくてもご安心ください。

しかし高齢の両親と会う機会は限られています。帰省すること自体が親孝行なのかもしれませんね。

 

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