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1.102026
映画「わたしの幸せな結婚」から大正時代と家制度について考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ40】

映画「わたしの幸せな結婚」から大正時代と家制度について考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ40】
- 映画「わたしの幸せな結婚」の映画概要とあらすじについて
- 大正とはどんな時代だったのでしょうか
- 家制度を知っていますか
- 政略結婚であっても幸せな結婚になる
それぞれ一つずつみていきたいと思います。
映画「わたしの幸せな結婚」の映画概要とあらすじについて
『わたしの幸せな結婚』は、顎木あくみによる日本のライトノベル作品で、2023年にはアニメ化、映画化、舞台化もされ、多くのファンを魅了しています。この物語は、明治・大正時代風の架空の日本を舞台に、厳しい環境で育った主人公・斎森美世(さいもり みよ)と、冷徹で恐れられる軍人・久堂清霞(くどう きよか)との愛と成長を描いたファンタジー・ラブストーリーです。アニメも映画も両方鑑賞しましたが、作画が大変美しく、内容をもさることながらアニメも映画も視覚的な美しさと魅力に溢れています。
映画版では、主人公の久堂清霞に話題作への出演が続いている目黒蓮(Snow Man)、斎森美世にはこちらも話題作への出演が続き、作品ごとに異なる演技をみせる若手演技派女優、今田美桜が演じています。そして監督は、塚原あゆ子。今夏、映画ラストマイルが絶好調で、『Nのために』、『アンナチュラル』、『MIU404』、『最愛』など数々の名作ドラマのプロデューサーです。
斎森美世は、異能(特殊な能力)を持つ家系に生まれながらも能力を持たない「無能」として家族に冷遇され、継母や異母妹から虐げられる日々を送っていました。そんな美世に、冷酷な軍人として噂される久堂清霞との結婚話が持ち上がります。清霞は美世に対して当初冷たい態度をとるものの、次第に彼女の優しさや献身に触れ、心を開いていきます。美世は自分を守ってくれる人が居ない過酷な世界で育ち、ひどい仕打ちを家族から受けたことで、自己肯定感が低く、未来に希望を抱けません。しかし清霞と生活を共にし始めてから、清霞は美世の作る朝ごはんの美味しさや、美世は薬草をお風呂にいれることで自分のあかぎれだらけの手を治そうとする清霞の優しさに触れ、徐々に互いに打ち解けていきます。その繊細な過程が丁寧に描かれています。美世は清霞との生活の中で自分自身や自分の運命を受け入れます。また『わたしの幸せな結婚』に登場する異能は、超自然的な力であり、血統によって受け継がれることが多いとされています。原作者の顎木あくみさんも、塚原あゆこ監督もこの作品は「他人と向き合うこと」がテーマだとインタビューにありました。今田美桜さんの演技には目を見張るものがありました。境遇に恵まれなかった美世が清霞と出会い、最終的に愛に生きるように変容していきます。素晴らしい演技でした。
(出所、参考)Wikipedia
大正とはどんな時代だったのでしょうか
本作品の舞台設定は明治大正風の架空の時代となっています。作者の顎木あくみさんも、明治大正の華やかさに憧れ、舞台設定を明治大正にしたそうです。
大正時代を舞台に設定した漫画には、大和和紀原作の「はいからさんが通る」が有名です。
顎木あくみさんも今回「わたしの幸せな結婚」に異能を取り入れたのは、大正時代を舞台にした漫画には既に「はいからさんが通る」というすごい作品があったため、あえてファンタジー要素をラブストーリーに取り入れたそうです。
では、大正時代がどんな時代だったのかみていきましょう。
大正時代(1912年〜1926年)は、日本が近代国家として発展しながらも、国内外での様々な変革や動揺を経験した重要な時代です。以下に大正時代の主な特徴をまとめます。
- 政治と民主主義の発展
- 大正時代は「大正デモクラシー」と呼ばれる民主主義運動が高まった時期でもあります。日露戦争後の軍事的な緊張が一段落し、国民の政治参加や自由主義的な風潮が広まりました。
- 1918年には、日本で初めて本格的な政党内閣が成立し、議会を重視する政党政治が発展しました。
- 選挙権も徐々に拡大し、1925年には普通選挙法が成立し、25歳以上の男性に選挙権が認められるようになりました(ただし、女性にはまだ認められていませんでした)。
- 社会・文化の発展
- 大正時代は都市化とともに、メディアやエンターテインメントが発展した時期でもあります。新聞や雑誌、映画が普及し、庶民に新しい文化が広がりました。
- モボ(モダンボーイ)やモガ(モダンガール)と呼ばれる若者たちが、西洋風のファッションやライフスタイルを取り入れるようになりました。
- 芥川龍之介や谷崎潤一郎といった文学者が活躍し、日本文学も豊かな表現を見せました。また、ヨーロッパの思想や文学が積極的に取り入れられ、新しい芸術や思想が生まれました。
大正時代は西洋文化の影響を受けつつも日本独自の文化が花開き、政治的・社会的な自由が広がった一方で、次の激動の昭和時代に向かう過渡期でもあったと言えます。この時期の変化が、戦後の日本社会や文化にも大きな影響を及ぼしました。
家制度を知っていますか
美世は、ある日突然父親から、久堂清霞との結婚話をされ、翌日には久堂清霞の屋敷に向かいます。お互いに一度も顔を合わせたことはありません。家長である父親の言葉には絶対服従なのです。現在の日本では、日本国憲法の第24条1項で婚姻は両性の合意のみに基づいて成立するとされていますが、これは1946年に制定された新民法で定められました。
この第24条1項の条文は、結婚するかどうかやいつ誰とするかを自分で決める権利(結婚をするについての自由)を憲法上の人権として定めたものです。また、個人の尊重と男女平等の実現を目的としておりますが、昔は「家」が大切にされ、戸主の同意が必要だった時代がありました。それでは、明治大正昭和初期に主流だった家制度についてみてみましょう。
家制度(いえせいど)は、戦前の日本における家族や親族関係を規定する制度で、特に「家」単位での社会的な枠組みが重視されました。この制度は、明治民法(1898年施行)において法制化され、日本社会の家族生活や財産の相続に大きな影響を与えました。
- 家制度の特徴
家制度の下では、「家(いえ)」が単なる居住空間ではなく、家族や親族を包含する社会的な単位として定義されました。この「家」を代表するのが「戸主」(こしゅ)であり、戸主には次のような権限と義務がありました。
- 相続:家は永続するものとされ、家の存続を優先するため、財産や地位は「家督相続」として戸主が一括して相続しました。これにより家の財産が分割されることなく維持されました。
- 家族の管理:戸主は家族や家に属する者に対する権限が強く、家族の進学、婚姻、職業選択なども戸主の承認が必要でした。
- 戸主の交代:家制度では家が重要視されたため、個人が亡くなっても家は続きます。そのため、戸主の地位は嫡出の長男に引き継がれるのが通例でしたが、長男がいない場合は養子縁組などで戸主を立てることが行われました。
2.家制度の影響
家制度は日本社会にさまざまな影響を与えました。
- 結婚・離婚の自由制限:家制度のもとでは、戸主の意向が強く反映されるため、個人の結婚や離婚の自由が制約されました。女性や次男以下の立場が弱く、家族の幸福よりも家の存続が優先される傾向がありました。
- 女性の地位:家制度の影響で、家の存続を担う「男系」が重視され、女性の社会的地位は低く、相続権も制限されていました。これが戦後の男女平等の動きにつながる契機にもなりました。
- 戦後の家制度廃止:1947年の新憲法と新民法の施行により、家制度は廃止され、個人の尊重と男女平等が重視されるようになりました。これにより家族構造も変化し、現在のような「核家族化」が進むきっかけとなりました。
3. 家制度の廃止とその後
戦後の新憲法のもとで、個人の権利と平等が強調され、1947年の民法改正により家制度は正式に廃止されました。家族の財産や婚姻の自由が認められ、男女間の平等も進みましたが、家制度の影響は長く残り、今でも家族のつながりを大切にする日本独特の文化として影響を残しています。
政略結婚であっても幸せな結婚になる
先に、家制度について説明しました。まさに美世の結婚は戸主である父親に決められました。
まさに政略結婚と呼べるでしょう。
政略結婚とは、主に政治的・経済的な利益や同盟の確立、権力の強化を目的として結ばれる結婚のことです。個人間の愛情や好意よりも、家族・国家・組織の利益が優先され、特に歴史的な王族や貴族、名家同士でよく行われました。政略結婚により、家同士の結びつきが強まったり、戦争や対立を避けたりすることができるため、古くから重要な戦略の一部とされてきました。
例えば、日本の戦国時代においても、織田信長や豊臣秀吉が他の有力大名家と姻戚関係を結ぶことで権力基盤を強化したり、同盟を結んだりしました
本作品では異能が血統によって受け継がれるという側面もあります。
しかし美世と清霞は互いに向き合い、お互いを知る中で、かけがえのない相手になっていきます。多少打算があったとしても、人間としてどう向き合い、関係性を築いていくのか、非常に幸運なケースであったとは言え、夫婦や恋人関係のみならず、目の前の相手との向き合い方次第では思いがけない道が開けていくのかもしれません。
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