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映画「あん」から樹木希林さん演じる老いと自分の想いを継承できる人がいる幸せについて考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ48】

映画「あん」から樹木希林さん演じる老いと自分の想いを継承できる人がいる幸せについて考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ48】

 

  • 映画「あん」の映画概要とあらすじについて
  • 樹木希林さん演じる老いについて考えてみよう
  • 自分の想いを継承できる人がいる幸せ
  • 何かになれなくても、生きる意味がある

 

それぞれ一つずつみていきたいと思います。

 

 

映画「あん」の映画概要とあらすじについて

 

映画『あん』は、2013年2月にドリアン助川が出版した小説を元に、2015年に河瀨直美の監督が映画化した作品です。主演の徳江に名優、樹木希林。永瀬正敏、樹木希林の実の孫、内田伽羅、市原悦子、浅田美代子など、実力派俳優が共演しています。本作品は、第68回カンヌ国際映画祭・「ある視点」部門に出品され、オープニング上映されました。その年の数々の映画祭で、河瀨直美監督、樹木希林、永瀬正敏が各種賞を受賞しました。

満開の桜の季節に、吉井徳江(樹木希林)が雇われ店長の千太郎(永瀬正敏)が営むどら焼きや『どら春』にふと立ち寄ります。バイト募集の張り紙をみて、働かせて欲しいと直談判します。年齢不問とは書いたものの76歳の老婆は雇えないと断りますが、桜が散ったころ、自分で炊いた粒あんを持って再度バイトの交渉にやってきました。見ず知らずの他人からもらったあんこなど、気持ち悪くて食べる気もなく、一旦はゴミ箱に捨てますが、なぜか一口味見をしたところ、信じられないような美味しい絶品のあんこであることがわかり、徳江をバイトとして雇います。朝5時から6時間以上もかけ、丁寧に丹念にゆっくりあずきと向き合う徳江に驚きながらも、美味しいあんが評判を呼び、どら春は開店前から長蛇の列ができるほど繁盛します。しかし、徳江が元ハンセン病患者であることがわかり、人出が遠のき、自分が原因だと気づいた徳江は自らお店を辞めます。以前居酒屋で客同士の喧嘩の仲裁に入ったところ、思いがけず相手に重傷を負わせ、刑務所に入り、多額の賠償金を抱えている千太郎は、社会的な差別や誹謗中傷に抗うことができず、徳江を守れなかったことを深く後悔します。どら春に通う、中学生のワカナ(内田伽羅)は自宅で飼っていたカナリアを徳江に託すべく、千太郎と二人で徳江を探し、元ハンセン病患者が暮らす施設に向かい、徳江と対面し徳江から幼少期からの過酷な半生をききます。千太郎独自のどら焼きを作っている最中に徳江は肺炎で亡くなり、ワカナと千太郎にテープで最後の想いを告げます。徳江が初めてどら春を訪ねた一年後の同じ満開の桜の中で、千太郎は大きな声で、自分が作ったどら焼きをお花見客に宣伝します。

とにかく樹木希林さんがすごい映画です。そして桜に始まり桜で終わりますが、春夏秋冬のそれぞれの自然の景色が美しく幻想的です。また映画全体を通して不自然さがなく、本当に実在する街に永瀬正敏が営むどら春が違和感なく存在します。樹木希林さんの話す言葉、手紙すべてがただただ優しく穏やかで、いつしか千太郎への言葉、手紙、全てが自分に向けられているような錯覚を覚えます。素晴らしい映画です。

(出所、参考)Wikipedia映画公式HPムビコレインタビューTORAJAインタビュー記事

 

 

樹木希林さん演じる老いについて考えてみよう

 

老婆役をやらせたら樹木希林さんの右に出るものはそうそういないのではないでしょうか。是枝監督作品の中でも、特に万引き家族では、歯が抜けた老婆を好演しています。数々の作品で類まれな存在感を発揮していますが、その存在感の一つが、老いをありのままに受け入れ、己を飾ることなく、実際の老いをさらけだすことにあるような気がします。

今回のあんの映画インタビューの中でも老いを以下のように語っています。

 

私は60になって目が見えなくなったり、肺炎起こしたり、がんになったり、いろんなものが重なってくると、ああ、そういうもんだなって。だから、元気でぱたっと死ぬのは、ちょっとかわいそうな気がする。だんだん弱って、いろいろ不自由になって、あれもできなくなる、これもできなくなる。そうするうちに、だんだんあきらめがついてくるのね、自分の生というものに。そうすると、楽よ。生きるということも、死ぬことも面白がって、それもそれっていうふうにいると、案外気楽。いろんな人に出会って、いろんな喧嘩もして、裁判もしたり、いろいろあったけど、今はそういう節目節目のいろんな出来事が、みんな面白かったね、となるから、面白いわね。(ムビコレ原文そのまま抜粋)

 

色んな考え方の人がいることが前提ですが、自分の身体に起きた出来事を、若かりし日々と比較して気落ちせず、客観的に捉えて受け入れ面白がれたからこそ、樹木希林さんは唯一無二の老婆を演じることができたのかもしれません。また、市原悦子さんが元ハンセン病患者で徳江の友人の佳子を演じています。こちらも大変素晴らしい演技でした。

(出所)Wikipedia映画公式HPムビコレインタビューTORAJAインタビュー記事

 

 

自分の想いを継承できる人がいる幸せ

 

徳江は、兄に連れられてハンセン病患者の施設に入所してから、その垣根を超えることができないとわかり深く絶望します。施設の中で同じ病気を抱えた人たちとコミュニティーを築き、その中で50年にわたりあん作りを行ってきました。結婚し子を授かりましたが、産むことは許されませんでした。千太郎を初めて見た時、自分の子供が生きていれば同じぐらいの年だろう。そしてその瞳が深く絶望していたことにどら春で働く以前から気になっていたとテープレコーダーで告げます。

どら春で働き始め、千太郎やワカナと徐々に心を交わすようになり、徳江の世界は広がります。そして自分の命があとわずかだと知った時、テープレコーダーに二人宛のメッセージを残します。血縁で結ばれた家族でもなく、地縁で結ばれた絆でもないけれど、千太郎もワカナも徳江のあんの美味しさと優しさ、生き物全ての声や物語を聴くことができる感性に癒されます。そして徳江も施設の外で出会った二人に、生まれなかった自分の子供や孫を投影していたのでしょう。そして自分の想いを伝え、継承できる若い世代に出会えたのは、これ以上ない幸せをだったのではないでしょうか。

そしてテープレコーダーに残した言葉は徳江の遺言のようでした。

 

 

何かになれなくても、生きる意味がある

 

見出しの言葉は、あんの映画の最後のシーンに流れる徳江の言葉です。

「私たちはこの世をみるために、聞くために生まれてきた。

・・・だとすれば、何かになれなくても、私たちには、生きる意味があるのよ。」

 

ドリアン助川さんが、小説あんを書こうと思ったきっかけは、若者の人生相談の中で、「生きている意味、生まれてきた意味」と問うた時、「社会で役に立たなければ生きている意味はない」と皆が答えたことに強い違和感を抱いたことがきっかけだったそうです。社会の役に立つ事も立派だけれど、宇宙的な観点からみれば人間の社会生活などちっぽけな存在で、そんな小さなもののために生まれてきたといっていいのか疑問を抱いたそうです。丹波新聞にドリアン助川さんが考える生まれてきた意味をわかりやすく伝えた文章がありますので、そちらをそのまま引用させていただきます。

「主体的、能動的な人生でなくても、この世を『感じ、味わう』ことも、この世が私たちを生んだ使命の一つ」と、同病回復者との交流で気付いた、あらゆるものとの関係性の中で自分の存在を感じる「積極的感受」という考え方丹波新聞HP

 

徳江も千太郎もワカナも自分の努力だけでは解決できそうもないそれぞれの事情を抱えています。何かになれなくても、生きる意味はあります。そろそろ桜が咲く季節です。生命の生まれる季節がやってきます。

(出所、参考)東京都人権啓発センタードリアン助川インタビュー記事丹波新聞

 

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