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9号の呪いとBUTTERの香り。結婚12年目の私が『BUTTER』を読んで台所で立ち止まった理由。

9号の呪いとBUTTERの香り。結婚12年目の私が『BUTTER』を読んで台所で立ち止まった理由。

柚木麻子さんの小説『BUTTER』を読み終えた日の夕方、私はいつものように台所に立ち、小説を読み終えるのを優先して遅くなってしまった夫の夕飯を作っていました。

しかし包丁を握りながら、ふと手が止まりました。

――どうして私は、今日も“普通に”夕飯を作っているんだろう。

それは気まぐれな感情ではなく、作品が私の生活に直接落としてきた、“揺らぎ”でした。

その夜、夫に家事分担の話をしたとき、彼はいつもの私の突然の家事労働の不公平に対する積もり積もった不機嫌を、笑いながら「昔より10%は成長したでしょ」と言いました。

しかし、結婚して12年。年1%未満の成長率なら、今の銀行の普通預金の利息と変わりません。

「利息程度じゃ、私の生活は潤わないわよ」

冗談めかしてそう返しながら、自分の中に長く沈殿していた違和感が、ようやく言葉になったのだと気づきました。

鏡の中に映る「消費される構造」

『BUTTER』は、世間を震撼させた実際の連続不審死事件をモチーフにした長編小説です。

容疑者の名は、梶井真奈子(カジマナ)。決して「若くも細くもない」彼女が、なぜ多くの男たちを翻弄し、その心を掴んで離さなかったのか。週刊誌記者の里佳は、拘置所の彼女に面会を重ねるうちに、梶井が放つ「食」への圧倒的な肯定感と、底知れないBUTTERの香りに絡め取られていきます。

梶井は里佳に、ある条件を提示します。

「私の事件について書くなら、私が食べたものを、あなたも同じように食べて報告しなさい」

調査を進めるはずの里佳は、梶井の教え通りにエシレBUTTERをたっぷり使った料理を摂取し、それまで抑圧していた自らの「食欲」や「欲望」を解放していくことになるのですが――。

この物語は、単なるミステリーではありません。

“女性が社会からどう消費されてきたか”

“女性自身が自分をどう消費してきたか”

を容赦なく描き出す作品です。

作中、主人公が梶井に関わる中で9キロ太り、周囲からとやかく言われる場面があります。そこに私は強烈な共感を覚えました。この小説でも美しいより前に、太った女性がフォーカスされます。特に日本人にとっては美醜の有無より瘦せていることが女性として魅力があるという前提なのだと思います。太った理由や彼女の心の変化ではなく、「太った」という外見の事実だけが評価の対象になる。女性の身体は、いつだって“他者の視線”の所有物として扱われてしまう。

私自身、行政書士として多くのご家族や、自分を後回しにして尽くしてきた女性たちの相談に乗る中で、この「自分を消費し、他者に明け渡してしまう構造」がいかに根深いものかを日々実感しています。

9号という名の「檻」

今でこそ「プラスサイズモデル」が登場し、多様な美が語られるようになりました。しかし、私たち昭和〜平成初期を駆け抜けてきた女性が浴びせられてきた価値観は、もっと狭く、鋭いものでした。

9号が標準。11号は“太め”。13号以上は、口にするのも恥ずかしい。

そんな空気が当たり前にあった時代です。ぽっちゃり体型は「自己管理ができていない」と見なされ、戦後の欧米文化のが美の絶対基準として刷り込まれました。その価値観を無意識に受け継いだ母親世代は、娘の健康よりも「世間からどう見えるか」を案じ、時には厳しく律しました。

ちなみに私自身は、9号サイズの服で合うものはほとんどありません。30代までは、なんとか11号の服に自分を押し込めようと、四苦八苦していました。9号と11号。たった数センチの差に、なぜあんなに懸命になっていたのか。今振り返れば、それは単なるサイズの問題ではなく、「普通」という枠内に留まろうとする、必死の足掻きだったのかもしれません。

「女ならパンプスを履け」という呪詛

身体を縛るものは、服のサイズだけではありません。

20年近く前のことですが、今でも忘れられない言葉があります。当時、私は非常に履き心地の良い、機能重視の靴を履いていました。それを見たある男性から、こう言い放たれたのです。

「女だったらパンプス履けよ、腐っても」

「あんな痛いもの、履けるかよ」

心の中では即座に毒づきました。しかし、当時はまだ「女性は足元を美しく見せるべき」という無言の圧力が社会全体に満ちていました。

最近では、仕事でもプライベートでもスニーカーが一般化し、見た目よりも「着心地」や「歩きやすさ」へと価値観がシフトしてきています。今のスニーカー文化になり、世の通勤女性たちの負担は、物理的にも精神的にも少しは軽くなったのではないかと感じます。

こうしたルッキズムの呪いは、人気ドラマ『逃げ恥』の「年齢で自分に呪いをかけている」という名セリフと同じで、深く、長く、私たちの身体と心を縛り続けてきました。

「本物」を後回しにしない生き方

『BUTTER』の中で、被告人の梶井が新潟から上京した際、一番おいしいお米と乳製品を、都会の女子大生が「太るから」とほんの一口しか食べない場面があります。その時、梶井が放つ言葉は、私の胸に深く突き刺さりました。

「甘さ控えめ、カロリー控えめ、薄味、あっさりなんてものが誉め言葉になる、この日本は本物を知らない」

私たちはいつから、「太らないこと」や「他者からどう見られるか」を最優先にして、人生の本物の豊かさを後回しにするようになったのでしょうか。

これは、お金の使い方にも似ています。以前本ブログでも紹介したベストセラー『ダイ・ウィズ・ゼロ』が説くように、私たちは老後のために資産を貯め込むことに躍進し、今しかできない経験を逃してしまうことがあります。

「体型のために食欲を貯め込む(我慢する)こと」と「将来のために経験を貯め込む(先送りする)こと」。

どちらも、未来という不確かなもののために、「今この瞬間の豊かさ」を欠乏させている状態ではないでしょうか。

あなたの「適量」で、人生を書き換える

結局のところ、

自分の欲望をどう扱うか。何をどれだけ取り入れるか。

その“適量”を見つけることこそが、人生の核心なのかもしれません。

洋食か和食か、こってりか薄味か。

その日の気分で、食べたいものを選んでいい。

パンプスを脱ぎ捨て、スニーカーで闊歩していい。

11号の服が窮屈なら、心地よいフリーサイズを選んでいい。

トライ&エラーを繰り返しながら、世間のレシピではなく、自分だけの“オリジナルレシピ”を作っていくこと。

持病を抱えている人が食事制限をされている場合などもあるでしょう。命に係わることのため、自分の欲望を貫くことができないケースもあり、そのような場合でも自分の適量を、大変ですが制限ある生活の中でみつけていく必要があるでしょう。

複雑で不透明な時代だからこそ、せめて自分の身の回りだけは、好きな人、好きなもの、心地よいもので満たしていきたい。

行政書士として、誰かの権利を守るお手伝いをする私も。

妻として、台所で包丁を握る私も。

そして、一人の女性として「美味しい」と笑う私も。

ライフも、ワークも、食事も。

すべては、あなたの、そして私の「適量」でいい。

まずは自分の適量をみつめていきませんか。

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