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映画「万引き家族」から家族とは何か? 血縁と婚姻で生じる家族?それとも心理的親密性を共有するのが家族? 家族の要件について考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ23】

映画「万引き家族」から家族とは何か? 血縁と婚姻で生じる家族?それとも心理的親密性を共有するのが家族? 家族の要件について考えてみよう【話題の映画・ドラマ・アニメから考えるブログ23】

 

  • 「万引き家族」の映画概要とあらすじについて
  • 「万引き家族」の柴田家は何と呼んだらよいのでしょうか
  • 母親になれる人は誰なのでしょうか
  • 血縁や婚姻以外でも心理的親身性を共有する人たちは家族なのでしょうか

 

それぞれ一つずつみていきたいと思います。

 

 

「万引き家族」の映画概要とあらすじについて

 

『万引き家族』は、是枝裕和監督の2018年制作の日本映画です。エンドロールから見ると、主演はリリー・フランキーなのですが、安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林、城桧吏、佐々木みゆ、など劇中柴田家を演じた人は全員主演のような存在感のある素晴らしい演技でした。第71回カンヌ国際映画祭の最高賞のパルム・ドールを獲得しました。2013年の「そして父になる」でもカンヌ国際映画祭の審査員賞を受賞し、二度目の快挙となりました。

あらすじは、東京都心に暮らす柴田治(リリー・フランキー)と、その妻信代(安藤サクラ)は息子の祥太(城桧吏)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)、そして治の母の初枝(樹木希林)と同居していました。家族は治と信代の給料に加え、初枝の年金と、治と祥太が親子で手がける万引きで生計を立てていました。しかし初枝は表向きは独居老人ということになっており、同居人の存在自体が秘密でした。(Wikipediaからそのまま抜粋)ある冷え込む夜に、近くの団地の外廊下に座り込む女の子を見つけた柴田治は、その女の子の寒々しく痛々しい姿がほっとけず、自分の家に連れ帰ってしまいます。最初はすぐに元の家に帰すつもりでしたが、女の子(リン)の身体に虐待の痕跡をみつけ、リンを返すつもりで訪れた両親の激しい夫婦喧嘩の怒鳴り声を聞き、いたたまれなく自分たちの家族として一緒に暮らすようになります。

表向きは6人家族のように見えますが、6人とも血縁関係も婚姻の関係もなく、それぞれが生きていくために、互いを利用し、万引きという犯罪で生計を立て、互いに支えあい、秘密を隠し生きています。食事のシーンなどは、ギリギリの生活を想定させますが、いつもみんなでお鍋を囲み、笑いが絶えない温かい雰囲気です。その家族団らんの最高のシーンが、隅田川の花火大会の音を縁側でみんなでのぞき込む姿と、真夏の海水浴のシーンです。

しかし、こんな楽しい疑似家族の生活も、祥太の万引きがばれ、警察が介入することで、家族がバラバラになり壊れていきます。最終的に信代が服役し、祥太は施設に入り小学校に通うようになります。リンは元の両親の元に帰り、再び虐待の被害者となります。

安藤サクラの演技が素晴らしく、女性警察官との取り調べのシーンは映像で観る側の心の奥底を圧倒します。子供たちの成長が万引き家族を壊すきっかけともなり、また希望ともなります。柴田家は家族ではないのか。本当の家族って何なのか、深く深く問われる映画となっています。(出所)Wikipedia

 

 

「万引き家族」の柴田家は何と呼んだらよいのでしょうか

 

この「万引き家族」、6人全員が血縁でも婚姻でも構成されていない柴田家の場合、「非親族世帯」と呼ぶのが一番ふさわしいのではないでしょうか。

「非親族世帯」とは、二人以上の世帯員から成る世帯のうち,世帯主と親族関係にある者がいない世帯と国勢調査の際に使われる統計用語の説明の中に出てきます。(出所)総務省統計局HP。この中で世帯の家族類型は親族世帯、非親族世帯、単独世帯と分けられています。また厚生労働省の用語説明の中で、世帯についての説明があります。世帯とは、住居及び生計を共にする者の集まり又は独立して住居を維持し、若しくは独立して生計を営む単身者をいう。

まさに柴田家は、独居老人のはずの初枝の家で行き場のない5人を含め6人が生活し、初枝の年金、治、信代の給料、そして足りない分を治と祥太の万引きで賄っています。すなわち生計を共にしています。家族の定義は様々な学問からのアプローチがありますが、広辞苑では家族を「夫婦の配偶関係や親子・兄弟の血縁関係によって,結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団」と定義されています。

(出所)総務省統計局HP厚生労働省用語説明

 

 

母親になれる人は誰なのでしょうか

 

映画の中で女性警察官(池脇千鶴)が信代(安藤さくら)を取り調べる中で、信代が警察官に、「産んだら誰でも母親になれるの」と問い、警察官から「でも、産まなきゃ母親になれないでしょう」と返されるシーンがあります。映画の中で誰一人血縁でも婚姻でも結ばれていませんが、互いが互いを思いやり、親密性があり信頼関係を築いていても、産まないと母親になれないと返されるシーンは、強く印象に残りました。

最高裁判所の昭和35年の判例で「母と非嫡出子間の親子関係は、原則として、母の認知をまたず、分娩の事実により当然発生する。」という裁判要旨(出所)裁判所HPがあり、この判例から母子関係は分娩の事実により当然発生するという解釈になりました。女性警察官の言葉は、この判例の分娩の事実を語っています。以前「そして父になる」を映画ブログで書きましたが、血の繋がりか、それとも共に過ごした時間のどちらの方が家族には大切なのかが、映画の中で問われていました。今回の映画もまさに同様の問題点を観客に問うているように感じました。

(出所)裁判所HP

 

 

血縁や婚姻以外でも心理的親身性を共有する人たちは家族なのでしょうか

 

柴田家は家族と呼べるのでしょうか。血縁や婚姻が前提となっていない柴田家は、住居と生計を共にする世帯ですが、家族ではないのでしょうか。

「国立社会保障・人口問題研究所によって2008年に実施された第4回全国家庭動向調査を用いて, 既婚女性がどのように家族を定義しているかについて書かれた釜野さおり氏の論文」があります。その中で筆者は家族の要件を以下6つに分けて、家族であるために,以下の要件がどの程度重要だと思いますか」とたずねた結果を用いて分析しました。

「法的なつながりがある」

「血のつながりがある」

「日常生活を共にする」

「経済的な つながりがある」

「精神的な絆がある」

「互いにありのままでいられる」

 

結果は「とても重要」の割合は、「精神的な絆」(7割),「ありのままでいられる」(6割),「血のつながり」(5割), 「日常生活を共にする」(4割台),「法的なつながり」(3割台),「経済的なつながり」(2割台)の順でした。つまり,精神的な絆があることと、互いがありのままでいられることが、「家族」であるために最も重視され、法的および経済的なつながりはあまり重視されていない、ということでした。(論文をそのまま一部抜粋)

この論文は2011年発表ですが、家族であるためには、精神的な絆があることのほうが、血のつながりがあることより、重んじる人が多いようです。しかし血の繋がりも5割の人がとても重要だと思っています。現代社会では、家族には血のつながり、生計を共にする経済的なつながりよりも、精神的な絆を強く求めるということは、それだけ家族以外の他者と精神的な絆を育むのが難しいのかもしれません。

(出所)人口問題研究 特集:『第4回全国家庭動向調査(2008年)』個票データを利用した実証的研究(その2) 既婚女性の定義する「家族」釜野さおり

 

地縁血縁の共同体が弱体化し、単独世帯の増加など家族の小規模化が進む中で、家族に精神的な絆を求めることは、長寿化、構成員の入れ替わりなども考えるとかなり難しいのではないでしょうか。精神的な絆を誰(人間である必要があるのかわかりません)と、どのように育むのか、これからの大きな課題であると言えるでしょう。

 

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